情報工房コンタクトセンターアカデミーコラム講演後後記 〜 コンタクトセンターの未来へのヒント 〜

講演後後記 〜 コンタクトセンターの未来へのヒント 〜

2021年11月25日(木)

「コンタクトセンターにおける支援型マネジメント」どうしてワイズヒューマンは、できるのか?
JCAセミナー 講師:株式会社ワイズ・ヒューマン(坂口社長、西村 了、篠原 昭太)
講演後記(コメントより抜粋/文責 : 宮脇)


昨年の11月に、ワイズ・ヒューマンの坂口社長にお話を伺いました。
また、部長である西村さんとマネージャーの篠原さんにも右腕としてのご活躍についてお聞きすることができました。

まず御三方のお話をお聞きして、コンタクトセンターがいい職場になっていて、いい職場を作ってくださっている方々がコンタクトセンターの世界の真ん中で頑張ってくださっている。
ということを実感し、嬉しい気持ちになりました。

宮脇さんと私は長い付き合いで、互いに共感し合うところが多いですが、坂口さんも宮脇さんととても響き合っている気がしました。
本当にリスペクトし合っている感じですね。
こういう関係はなかなかないと思います。

私は今、コンタクトセンターアカデミーのフェローという立場をもらっていますが、フェローのデビューがじつは坂口さんのところでした。

2年前2019年の8月にワイズヒューマンさんにお邪魔させていただきましたが、先ほど申し上げた“いい職場”の状態に、すでに7割ほどを現場で実感することができました。
その際に聞いた話のメモがありますので、ちょっとご紹介させていただきます。
会長室と呼ばれるロイヤルカスタマー対応をされている方のお話です。
その方は20年ほど前に他のコンタクトセンターに勤務されていたそうです。
「その時はほとんどのお客様と一回限りの対応で、失礼のないように卒なく対応すればいいというものでした。しかし、ワイズヒューマンに来てみたら全然違った。お客様のことに興味を持って、もっと知りたくなる」。
「背景の音が賑やかだったから、それに注意を引いて会話をしてみたらそこから話が広がったことがある」。
「何気ない会話から真のニーズや潜在ニーズに気づいて、その会話を楽しんでいる」。
「いかに注文が止まったお客様にもあきらめずにコンタクトを続けていくかを考え、そうやって縁が戻ってきたときには本当に感動した」。
「心が折れることもあったけれど、たった一人お客様からの一言でモチベーションが保てた」。
・・・会話を楽しんでいるって・・・コンタクトセンターの人が言うのはすごいと思います。

また、鹿児島センター立ち上げのスタッフの方からはこんなお話をいただきました。
「職人になるよりも素直で柔軟性のある人になるようやっています。
従業員を笑顔にすることがお客様の笑顔につながる。
そういう風に言われて「そうだ!」と思って頑張っています」。
これを聞いて、本当にいい会社だな、いいチームだなと思いました。

宮脇さんのお話の中で、これからのマネジメントは支援型だとおっしゃっていましたけど、坂口さんがどうやってそういうチームを、会社を作ってこられたのか・・・今日の西村さんと篠原さんお二人の様子や発言を聞いていても良く分かりました、出来ているなって。
でも、どうしてそうなったのかはやっぱり謎でした。今日のお話の中でもそれについてはあまりはっきりおっしゃらなかった。
ワイズヒューマンはなぜできたのか、坂口さんがすごい人だったから、という話になっているんですよね。
ちょっとそこをほじくってみたい。

そもそもマネジメントには、支援型でも支配型でもないものがあると思うのです。
一つは、放置して競争させて選別するもの。
もう一つは、徹底的に学んでもらって、ある意味、型にはめちゃうもの。支配しないマネジメントなんです。
これは支援型かもしれないけれど教え尽くすという考え方ですね。
マネジメントの方法は色々ありますがこの2つはコンタクトセンターでは通用しないと思います。
だって会話はフリーですから。基本動作しかできない人にはできません。
お客様との会話は常に応用だから。応用が利かない人にはコンタクトセンターの仕事はできません。
だから、支援型のマネジメントはあり得るけれど、支配型の教育はあり得ない。
だから共に育てる、育つんですよね。
つまり“共育”。

言ってしまえば支援型マネジメントしか、コンタクトセンターではあり得ないはずなのに、やっていないセンターがほとんどです。
さらに会社レベルでやっているところは少ないのではないでしょう。

ではなぜ坂口さんはそのようにされたのか?
やっぱり、やずやさんがすごいんだと思います。
また、坂口さんが“現場の責任者に権限委譲を思い切ってした。発想を変えた”とおっしゃっていましたが、変えたのは発想だけではないはずです。
おそらく何もかも変えた。何もかも変えたその契機になったのは、困難が重なり追い詰められた時・・・だったのではないでしょうか。
創業社長が去り、すごく力になってくれていた仲間が去り、気づいてみたら2人しかいなかった。
この状態で権限委譲しかない。
もう、抱え込んで死ぬぐらい頑張る、あるいは放り出して呆然とする。
大抵の人はそのような状況になるのではないでしょうか。
そこを「自分の関わりをちゃんと維持しながらきちんと権限委譲して組織を回す」という方は少ない。
それを坂口さんがやった。

なぜ坂口さんがそれをできたかといえば、二つ財産があったからだと思います。
1つは、新入社員の時のすごい経験。
坂口さんも大事にお話されていましたが、会社の対応を見て、自分の後進に対してもそのように接したいというように、一番最初のある意味刷り込みがあった。
すごく幸せだったと思いますし、それを忘れないで一番ギリギリのタイミングでちゃんと生かしたことがすごかったのだと思います。

もう1つの財産は創業者の言葉です。
理念と言ったらいいかもしれない。
それを全部自分で消化した上で、自分の言葉にできるのだけれど、「創業者の言葉」として語っている。
そして、やずやグループのワイズヒューマンと会社の文化というものを作られた。

この2つの財産を生かしきることができ、度量や能力のある方がその時いるべき場所にいた。
だからワイズヒューマンは支援型のマネジメントを定着されられたのだと思います。

エージェンシーはなかなか難しいところがあります。
クライアントの企業文化に巻き取られてしまうようなことも起きます。
ちょっと予期せぬ悩みにぶつかることもあるかもしれません。
でも、是非、今の文化と今の仲間とのまとまりを生かしてこれからもやっていってください。

今回は貴重なお時間をいただき本当にありがとうございました。

武藤 弘和

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